
みなさん、おかげさまです。
明工建設、一級建築士の仁藤衛です。
今回は、少し重たいテーマです。
豊臣秀吉。
農民に近い身分から天下人へ上り詰めた男。
織田信長の後を継ぎ、日本を統一した人物。
一方で、晩年になると、
「朝鮮出兵という無謀な戦争を始めた」
「権力を持ちすぎて判断を誤った」
「晩年は誇大妄想に陥った」
そんな評価を聞くことも多いと思います。
でも私は、ここで一度立ち止まってみたいんです。
本当に、それだけだったのでしょうか。
秀吉が生きた16世紀後半。
世界では、日本国内の戦国時代とは比較にならないほど大きな変化が起きていました。
ヨーロッパ諸国が大西洋を越える。
スペインはフィリピンへ進出する。
ポルトガルはインド洋から東アジアへ交易網を伸ばす。
宣教師が海を渡る。
商人が海を渡る。
軍隊も海を渡る。
つまり日本は、
戦国時代を終わらせた瞬間に、世界規模の戦国時代へ放り込まれた
とも言えるわけです。
今日は、
「秀吉の晩年を、老いと狂気だけではなく、外交・貿易・宗教・安全保障という視点から見たらどう見えるのか」
そんな仁藤流で考えてみたいと思います。
なお最初に大切なことを申し上げます。
今回の資料には、「朝鮮出兵は西欧勢力に対する防衛戦略だった」「秀吉の行動がスペイン・ポルトガルによる日本征服を断念させた」といった、かなり強い歴史解釈が含まれています。
これらを歴史学上の確定事項として断言するのではなく、当時の世界情勢を踏まえて秀吉の行動を再検討する一つの視点として読んでいただくのがよいと思います。
■秀吉の時代、日本の外では「世界の取り合い」が始まっていた
1494年。
スペインとポルトガルの間で、トルデシリャス条約が結ばれます。
大ざっぱに言えば、
ヨーロッパの二つの強国が、新しく到達する世界を自分たちの勢力圏として分けようとした
条約です。
今の感覚からすれば、
「他人の土地を、勝手に線を引いて分けるなんて何を考えているんだ」
と思いますよね。
でも当時は、それが大航海時代の現実でした。
新しい航路を見つける。
交易拠点を築く。
宣教師を送る。
軍事拠点をつくる。
現地政権と交渉する。
場合によっては征服する。
交易・宗教・軍事が、完全には切り離されていなかった時代
だったわけです。
■だからキリスト教だけを見ても、当時の外交は分からない
ここが難しいところです。
キリスト教という宗教そのものと、
スペイン・ポルトガルという国家の海外進出政策。
そして宣教師個人の信仰。
さらに商人の利益。
これらを全部同じものとして扱うのは乱暴です。
一方で、
宗教活動が政治や外交、貿易から完全に独立していたわけでもない。
ここを分けて考える必要があります。
秀吉から見れば、
海外から宣教師が来る。
一部の大名が改宗する。
交易も広がる。
海外の軍船も来る。
そしてフィリピンではスペインが植民地支配を進めている。
当然、
「これは宗教だけの話なのか?」
と考えるでしょう。
天下を取ったばかりの統治者なら、なおさらです。
■秀吉が恐れたのは「外国人」ではなく、国内に別の命令系統ができることだった?
1587年。
秀吉はバテレン追放令を出します。
これを、
「秀吉が突然キリスト教嫌いになった」
だけで説明すると、少し物足りません。
秀吉の立場から考えてみます。
ようやく戦国大名を従わせている最中です。
ところが、
自分とは別の価値観。
別の宗教的権威。
そして海外との独自のつながり。
それを持つ勢力が国内で急速に広がっていく。
これは統治者から見れば、極めて敏感になる問題です。
私は、
「誰を信仰するか」以上に、「最終的に誰の命令に従うのか」
という主権の問題があったのではないかと思うんです。
■住宅でも「二つの司令塔」があると、家はうまく動かない
また家の話かと言われそうですが(笑)。
家でも似ています。
換気設備はこう動きたい。
エアコンは別の考えで動く。
太陽光は発電する。
蓄電池はまた別。
HEMSも別。
全部高性能なのに、
司令塔がない。
すると、家全体としてはうまくいかない。
私は住宅を一つのシステムとして考える時、
「誰が全体を制御するのか」
が大切だと思っています。
国家も同じなのかもしれません。
別々の命令系統が国内で力を持てば、統治が難しくなる。
秀吉はそこへ非常に敏感だった、と見ることもできます。
■日本人の奴隷売買という、重い現実
今回の資料には、日本人の人身売買の問題も出てきます。
これは現代の感覚で読んでも非常に重たい話です。
16世紀の日本では、戦乱などを背景に人身売買が存在しました。
海外へ連れ出された日本人もいました。
秀吉もこれを問題視し、外国商人による日本人売買を禁じる趣旨の命令を出しています。
ここで注意したいのは、
「外国人だけが日本人を拉致して売っていた」
と単純化してしまうことです。
実際の人身売買には、日本国内の戦乱や売買構造、日本人側の仲介なども絡んでいました。
つまり、
誰か一人だけを悪者にすれば説明できる話ではありません。
でも秀吉が、
「日本人が海外へ奴隷として売られていく状態は認めない」
という方向を示したことは、重要です。
■これは「奴隷解放宣言」と呼べるのか?
今回の資料では、これを「世界初の奴隷解放宣言」と強く評価しています。
私は、この表現は少し慎重に使った方がいいと思っています。
なぜなら、
近代的な意味での普遍的な奴隷制度廃止宣言と、秀吉の政策はその背景も対象も異なるからです。
ただし、
「自国民が海外へ商品として売られていくことを国家権力が問題視し、止めようとした」
という意味では、秀吉の国家観を考える重要な材料です。
私はむしろ、
ここに「人権思想」という現代語をそのまま当てはめるより、
「天下統一後の国家として、人間まで勝手に海外へ流出させない」
という主権意識を見る方が、当時の秀吉に近い気がします。
■秀吉は「貿易まで拒絶した」わけではない
これも重要です。
外国の宗教勢力を警戒する。
では、
「海外との関係を全部切る」
となったか。
そうではありません。
秀吉は貿易そのものには強い関心を持っていました。
つまり、
「交流すること」と「従属すること」を分けていた
と考えると面白い。
外国の商品は欲しい。
貿易もしたい。
情報も欲しい。
でも、
「国内の主権まで渡す気はない」
ここです。
私はこの姿勢に、現代にも通じるものを感じます。
■「外国のものを使う」ことと「外国に依存する」ことは違う
これ、住宅でも本当に同じなんです。
海外製品を使うこと自体が悪いわけではありません。
海外の技術から学ぶ。
海外の設備を使う。
世界中の優れた考え方を取り入れる。
大いにやればいい。
でも、
一つのメーカー、一つのエネルギー、一つの供給経路に依存しすぎることはリスクになる。
私は家づくりでも、
「つながる。でも、依存しすぎない」
という考え方を大切にしています。
■そして最大の問題、「朝鮮出兵」をどう見るのか
秀吉の晩年を語る時、避けて通れないのが、
文禄・慶長の役です。
日本軍が朝鮮半島へ侵攻し、明まで視野に入れた戦争を行った。
膨大な犠牲が出ました。
日本だけでなく、朝鮮、明を含め、多くの人々が巻き込まれた戦争です。
ここは、
どんな目的を想定したとしても、戦争がもたらした被害そのものを軽く扱ってはいけない
ところだと思っています。
その上で、
「では秀吉は何を考えていたのか」
を考える。
■本当に「老いによる誇大妄想」だけだったのか?
秀吉は明への進出構想を持ち、
朝鮮へ道を借りることを要求し、
さらにフィリピンなど海外勢力にも強い外交姿勢を示しました。
この構想は、今から見れば極めて大きい。
「無謀だった」
と評価されるのも理解できます。
ただ、
秀吉の頭の中に日本列島しかなかったわけではない
ことは確かだと思います。
九州を平定する。
そこから海を見る。
南には琉球。
台湾。
フィリピン。
西には朝鮮。
その先に明。
さらに南方にはポルトガル、スペインの勢力圏。
天下統一した人間が、
次に「世界地図」を見始めた。
私はそう考えると、秀吉の晩年が少し違って見えます。
■寧波という都市に注目すると、秀吉が「海」を見ていたことが分かる
資料の中で興味深いのが、寧波です。
寧波は中国沿岸の重要な港湾・交易拠点でした。
秀吉が大陸進出後の構想の中で、こうした海上交易の要衝を意識していたことを考えると、
単純に、
「領土を広げたい」
だけではなく、
東アジアの交易と軍事の中心を押さえたい
という発想もあった可能性が見えてきます。
つまり秀吉は、国内の城だけを見ていたのではない。
港を見ていた。
海を見ていた。
交易路を見ていた。
これこそ、これまで私たちが話してきた、
ロジスティクス
です。
■国を支配するより「道」を支配する方が強い
信長の話。
元寇の話。
秦の話。
全部ここにつながってきます。
道路。
港。
海路。
運河。
物資。
お金。
情報。
国家の強さは、
土地の面積だけでは決まりません。
必要な物を、必要な場所へ、必要な時に動かせるか。
これが重要です。
秀吉が朝鮮半島、明、寧波、フィリピンといった地域を広く意識していたとすれば、
彼が見ていたのは単なる領土ではなく、
東アジア全体の物流地図
だったのかもしれません。
■ただし、「朝鮮出兵は日本防衛のためだった」と言い切ってはいけない
ここは大切なので、はっきり申し上げます。
スペインやポルトガルのアジア進出が秀吉の外交判断へ影響した可能性はあります。
キリスト教勢力への警戒もあった。
海外交易への関心も強かった。
しかし、
だから朝鮮出兵全体が「西欧からアジアを守るための防衛戦争だった」と断定するのは難しい。
秀吉自身の権威。
征服欲。
国内大名の統制。
明との国際関係。
朝鮮との交渉。
さまざまな要素が絡んでいます。
歴史は、一つの理由だけでは動きません。
むしろ私は、
複数の動機が重なったからこそ、巨大な行動になった
と考える方が自然だと思います。
■「成功体験」が人を失敗させる
今回の資料の中で、私が一番考えさせられたのはここです。
秀吉は国内では、ほとんど勝ち続けました。
人を動かす。
城をつくる。
兵站を整える。
外交する。
敵を分断する。
大軍を動かす。
その成功体験がある。
すると、
「このやり方なら、海外でもできる」
と考えてしまう。
これは人間なら誰でも起こります。
■会社経営でも、一番危ないのは「成功した後」
失敗している時は、誰でも慎重です。
問題は、
成功した時。
売上が伸びた。
商品が売れた。
会社が大きくなった。
すると、
「自分のやり方は正しい」
となる。
でも市場が変われば、
昨日の正解が今日の間違いになる。
住宅でも同じです。
20年前に正しかった家づくり。
今も同じでいいのでしょうか。
気候は変わった。
電気代も違う。
設備も違う。
災害リスクも違う。
家族構成も違う。
エネルギー事情も違う。
だから私は、
成功体験ほど疑わなければいけない
と思っています。
■秀吉の失敗から学ぶなら「もっと大きく考えろ」ではない
私は秀吉の歴史から、
「もっと世界へ出ろ」
という単純な教訓を取りたいわけではありません。
むしろ逆です。
自分の知っている世界の外へ出た時、自分の常識は通用しないかもしれない。
これを忘れないこと。
秀吉は日本国内では、とてつもなく優秀でした。
でも海を越えれば、
言語。
宗教。
文化。
外交。
兵站。
地理。
軍事。
すべて条件が違う。
どれだけ優秀な人間でも、
環境が変われば、成功の方程式を作り直さなければならない。
これは現代の経営にもそのまま通じます。
■そして現代の日本も「世界の変化」の中にいる
今の日本も、
世界と無関係には生きられません。
エネルギー。
食料。
半導体。
木材。
建材。
為替。
国際物流。
安全保障。
全部つながっています。
だから、
「国内だけ見ていれば大丈夫」
ではありません。
一方で、
「世界に全部任せればいい」
でもない。
私は、
外とつながりながら、自分の足でも立てる
ことが大切だと思っています。
■ここで、やっぱり家づくりへ戻ります
秀吉が海外との貿易を完全に拒絶せず、
一方で国内の主権には敏感だった。
この姿勢を住宅へ置き換えると、
私は、
「社会インフラとつながりながら、自立度を高める家」
になると思っています。
電力会社とはつながる。
でも太陽光もある。
蓄電池もある。
EVも使える。
V2Hも考える。
水道ともつながる。
でも災害時の備えを持つ。
外の空気も取り入れる。
でも気密と換気によって入口を管理する。
まさに、
開くけれど、無防備ではない。
私はこれが非常に重要だと思っています。
■家も「鎖国」してはいけないし、「無防備」でもいけない
例えば換気。
家を密閉して、
「外気を一切入れません」
では、人は暮らせません。
でも、
隙間だらけで、
「好きなところから外気が入ってきます」
でも困る。
だから、
高気密にして、
必要な空気は計画的に入れる。
これはある意味、
住宅の外交政策
みたいなものです(笑)。
誰も入れないのではない。
誰でも勝手に入れるのでもない。
入口を決める。
そして管理する。
私は明工建設の「深呼吸する正圧の家」を考える時にも、実はこういう感覚を持っています。
■「ノー」と言えることより、「何にノーと言うのか」が大切
今回の資料の最後では、
「日本として譲れない一線を持つ」
という話が出てきます。
私はこれを大事にしたいと思います。
でも、
何でも拒絶することが強さではありません。
外国だからノー。
新しいものだからノー。
昔と違うからノー。
それでは単なる閉鎖です。
本当に必要なのは、
受け入れるものと、守るものを自分で決めること。
これだと思います。
■家づくりでも「譲れない一線」を決める
家を建てる時も、全部最高級にはできません。
予算があります。
土地があります。
家族の希望があります。
だから優先順位が必要です。
私は、
デザインは調整できる。
設備も将来交換できる。
でも、
構造。
断熱。
気密。
防湿。
換気。
こうした家の骨格は、後から簡単には直せない。
だから、
「ここは譲らない」
という線を最初に決める。
これも、長い人生を守るための外交みたいなものです。
■仁藤流の結論。秀吉の晩年から学ぶのは「世界を見る目」と「自分の軸」
豊臣秀吉を、
「農民から天下人になった人」
だけで終わらせる。
あるいは、
「晩年に狂って無謀な戦争をした人」
だけで終わらせる。
私は、どちらも少しもったいないと思っています。
16世紀後半。
世界は大きく変わっていました。
ヨーロッパから船が来る。
商人が来る。
宣教師が来る。
武器が来る。
新しい価値観が来る。
そして、その後ろには国家の思惑もある。
その激流の中で、
日本を統一したばかりの秀吉は、
「この国を世界の中で、どう位置づけるのか」
を考えざるを得なかった。
結果として、その判断には大きな失敗もあった。
多くの犠牲も生んだ。
そこは美化してはいけないと思います。
でも同時に、
世界が変わり始めていることへ気づき、日本列島の外まで見ようとした天下人だった
という姿も、見落としたくありません。
■30年後の家を考えることも、小さな外交です
これから30年間。
世界はどうなるでしょう。
電気料金。
気候。
エネルギー。
国際情勢。
災害。
AI。
EV。
誰にも正確には分かりません。
だから、
未来を当てるのではなく、
どんな未来が来ても困りにくい家をつくる。
私はそこを考えています。
社会とつながる。
でも依存しすぎない。
外の技術を取り入れる。
でも家族の暮らしの主導権は渡さない。
変化を受け入れる。
でも守るべき性能は守る。
私は、これからの家づくりにも、
「開かれているけれど、自分の軸を持つ」
という考え方が必要だと思っています。
秀吉が生きた16世紀も、
私たちが生きる21世紀も、
世界のルールが変わる時代という意味では、どこか似ています。
だから歴史を学ぶ価値がある。
歴史は、
「あの人が正しかった」
「あの人が間違っていた」
と決めるためだけのものではありません。
自分ならどう判断するのかを考えるための材料
だと思っています。
もし自分が秀吉だったら。
世界の強国が次々とアジアへ進出してくる。
国内には新しい宗教が広がる。
貿易はしたい。
でも主権は守りたい。
その時、
何を受け入れ、
何を拒むでしょうか。
そして現代の家づくりでも、
同じ問いを私は持っています。
何を便利だから受け入れ、何だけは家族を守るために譲らないのか。
その答えを持つこと。
それが、変化の激しい時代を生きるための「軸」なのだと思います。
ご縁を大切に唯一無二の家造り
住んでからがお付き合いの始まり。
おかげさまでありがとうございます。
お読みいただき、ありがとうございます。
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こちらもきっとお役に立てると思います。
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